★ 必殺仕事人 ★

商売繁盛請負人 キャパサービス

2013年09月09日 09:00



ippeiは32歳の時に、他業種の営業職から住宅メーカーの営業職に転職しました。

生来の「負けず嫌い」が、功を奏して入社年度より実績を上げ、社内では常に

トップセ-ルスマン、代理店受注実績でも全国NO1を何度も受賞しました。

その頃のippeiの仕事に対する考え方は・・・

人に負けない実績を上げ、会社に貢献することが「仕事の出来る男」と、信じて疑いませんでした。

それが、ある日、ippeiの仕事観・人生観を変える出来事が起きたのです。

その日とは、平成7年1月17日の出来事・・・そう、阪神淡路大震災です

ippeiはその日を今でも鮮明に覚えています。

当時、三島営業所の所長をしていたippeiは、業績を達成した営業所のご褒美で

グァムに行くため営業所の17~18名のメンバーと早朝の成田空港に居ました・・・。

空港ロビーのテレビに写し出されるヘリコプターからの映像・・・異様に静まりかえった

街から無数の黒煙が・・・。

グァムに着いてからも会社から宿泊先のホテルには状況を知らせるFAXが届いていました。

それから2週間後、ippeiは兵庫県東灘区に居ました。

一番被害の大きかった地域に建っている自社の建物に住んでいらっしゃるお客さまや

近隣の自社の建物に住んでいらっしゃるお客さまへ・・・水や携帯ガスボンベ、食糧などを

リュックに詰めて、多数の男子社員と共に訪れたのです。

ippeiは戦後の生まれで、戦争は知りませんが・・・戦場とは正にこの様な状況なんだろうな

と、思うほど悲惨な状況でした。

瓦礫の山をかき分けて目的の「自社の家」に近づいた時、自分の目を疑いました。

四方八方の建物が瓦礫化している中、自社の建物が何事も無かったかのように1棟だけ

スクッと建っていたのです。

ippeiは、この時に雷に打たれたような衝撃を覚えました。

先ず、鳥肌が立ち、次に涙が流れてきました。

自分の売っている「住宅」が、このような災害にも耐えて、住んでいるご家族の生命を

護ったんだ・・・と、自分は今まで自分の「力」を認めて貰い、高い給料を貰う事、

会社に利益をもたらす事が、「仕事人」としての最終目的だと思っていましたが・・・

今回の現状を目の当たりにして、「掛け替えのないない家族の生命を護る家」を

一棟でも多く世の中に広めることが、自分の本当の仕事なんだとハッキリと自覚しました。

その後は「自分の実績に満足する」事ではなく、「お客さまの幸福を考る」・・・と言う

発想の元に仕事を続け、更に業績を伸ばすことが出来ました。

関連記事